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突然ですが・・・ [その他・雑事]

9月22日午前5時28分
母親が亡くなりました、84歳でした。

先週16日の日曜に午後から病院に行って夕方まで手を握りながら付き添っていたのが
私が母に会えた最後でした。父から連絡もらってすぐ2人を起こし駆けつけましたが
私は病院の手前で間に合いませんでした。原チャリで先に走った長男でさえ間に合わず。
かろうじて実家のみんなが間に合い母が独りで逝くことがなかったのがせめてもの幸いでした。

先週木曜でしたか、朝父から連絡もらって「もう無理なようだ」と聞かされ次男にLINE入れたら日曜日に会いに帰るからと返事が来てそれくらいは持ってくれないかと願っていたんですが。
私はその前日の夜に冷蔵庫が壊れて仕事を一か所済ませたら帰ってくると言う主人を待っていたところでした。。ケーズデンキで在庫の午後から配達可能分で高さの入る冷蔵庫を選び
午後から掃除して届くのを待ってまた掃除してと言う忙しさで仕事が一日ずれてしまい
金曜日も行くことができないままで、それでも金曜夕方病院に行った父から落ち着いていると聞いていたので土曜日朝一番で病院に行こうと思っていた・・その朝のことでした。

実家に連れて帰りお布団で寝かせて私は次々来てくださる親戚や近所の方の対応に追われ
父は葬儀社やお寺さんとの打ち合わせ、兄と兄嫁のお兄さんが病院に死亡診断書を取に行き
コピーしてから役所に提出など、兄嫁さんや甥っ子たちは台所の方で朝食やお茶昼食の用意など
手分けして(主人と長男にはとりあえず仕事に行ってもらい早じまいするようにしてた)
夜6時から石井ベルべ玉鳳院にてお通夜(5時半に次男が到着しまして)
その夜は私と父が控室で泊まって一夜を過ごしました(寝られませんけどね)
同級生、それも同じ地域の出身の幼馴染みたいな間柄の同級生が勤めていて
父も兄も知っていて(さすがに兄は説明するまでわかりませんでしたが)
お通夜の担当となってくれたおかげで12時までは会場にいてくれたので
母の思い出や同窓会のことや色々と話し相手になってそばにいてくれ
母も嬉しかったんではないかなと思っています。
寺院や斎場の予約時間の関係で朝9時からの告別式となりましたが無事にお六日まで済ませて
実家に寄ってから(祭壇を作ってくれるので)蔵本の家に帰ってきました

それからはぶっ倒れてずっと寝てました
昨日も体があまり動かず、貯まった洗濯や洗い物など片付けるだけで精一杯でした

昨年10月末にS字結腸ガン、肝臓、腹膜播種とわかり手遅れとなってから約1年
危ないと言われながらひい孫の誕生を喜び年を越し、ひい孫をこの腕に抱きたいと春を待って
6月末には本当にダメだと思いましたがステロイドの点滴で持ち直し
ゆっくりゆっくりと進んでいっておりましたが、ただの一度もこの娘に
「痛い」と言う言葉は一度も吐きませんでした。
看護士さん先生には素直に言っていたようですけどね。。
色々食べたいものや着る物は、言うのでその度用意したり、近くのスーパーに行ったり。

私は・・・・
母に生きてもらいたいと思う反面、いつまでこう苦しめて病院におかねばならないのかとも
思うこともありました。時々家に帰りたいと漏らしていたのを叶えてやることもできない
酸素吸入を続けステロイドを入れ鎮痛剤を貼りかえ胸水と腹水を抜きながら
自分で起きることもできなくてオムツを付けたままの病床でずっと天井を見ているだけ
けれど最期まで呆けることのなかった母には自分の命の尽きる怖さもあったと思う
この何もしてやれなかった出来損ないの娘は、哀しいよりも母が楽になれたと思いました

よく頑張ってくれたよね、皆にあなたが死に行く覚悟をつけてくれた心の準備をさせてくれた

ありがとう、お母さん。


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しばらくの間、このブログをお休みします
一週間に一度の更新しかしませんでしたし、皆さまの所に訪問もせず
本当に失礼ばかりのブログ主ですが、今はなんも書く気がしません
仕事だけは待ってくれてるお客様もいますし、生活の張り合いともなる
ミシンに向かっている方が好きなので今日午後から始めます
皆様方にはどうか健やかに毎日を過ごされますよう心からお祈りいたします










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